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Sarah Vaughan Autumn in New York

絵本の著者・昼寝ネコからの創作メッセージ
「ネコから届いた絵本」
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(ミスター・フィロソファー:作画 カトリ〜ヌ・笠井)

あなたはご存じないかもしれませんが
ニューヨークには
ネコが書いた絵本を発行している出版社があるんですよ。
それも、大手出版社のように
初版が何万部とかの大部数を出版するのではなく
たった一冊なんです。
すっかり心を閉じてしまい
自分自身の存在すら、支えることが難しくなってしまった
そう、あなたのような人のために
そのネコは、たった一人の読者のために
一冊の絵本を書いているんです。

もう20年以上も前のことです。
当時の私は、各国の出版物を扱っていましたので
ヨーロッパやアメリカの都市を飛び回っていました。
ロンドンではハイドパークを散歩し
パリではブローニュの樹木に親しみ
ニューヨークに行くと、決まって
セントラルパークを訪れました。

ある日、セントラルパークで
とても不思議なネコを見つけたんです。
なんと、めがねをかけた瞑想するネコなんです。
一瞬、視線が合ったんですが
全然無視されて、また瞑想の世界に戻られてしまいました。

レストランのウェイターに尋ねると
地元のニューヨーカーたちは
そのネコのことを、尊敬の念を込めて
「ミスター・フィロソファー」と呼んでいると説明してくれました。
つまり、哲学者のように知恵と思慮に富んでいるというのです。
なぜ?どうして?何があったの?
その理由は誰も説明できないけど
いつのまにか、そういう評判が
ニューヨーク中に広まっているというんです。
いやあ、さすがに世界の大都市だな、と感心しました。
なので、それ以上は詮索せず、瞑想の邪魔にならないよう
疲れた足を引きずって、窓からメトロポリタン美術館が見える
ホテルの部屋に戻りました。

今、思い返しても、とても不思議な経験でした。
深い眠りに落ちて数時間経った頃、
もちろん深夜過ぎのことなんです。
何かが聞こえるんです。
その何かが、窓の方から徐々に鮮明になり
どうやらネコの鳴き声のようなんです。

げっ!
私は一瞬、凍り付いてしまいました。
きっと夢に違いない。
そう思いました。
だって、6階の部屋のベランダに
あの「ミスター・フィロソファー」が
めがねをかけたまま、紙袋をくわえて
ちょこんと座っているのです。
窓を開けると、ミューヨークの秋の夜の冷気が
暖房の効いた部屋に、瞬時に吹き込んできましたので
あれはやはり夢ではなく
現実だったと思うんです。

小さなテーブルを挟んで
私たちは向かい合いました。
紙袋の中には、冷えたフライドチキンが
2ピース入っていました。
それと、レシートも入っていましたので
気を利かせたつもりで、また冗談半分で訊きました。
「現金?小切手?どっちがいいですか?」
「ミスター・フィロソファー」は
小銭だと持ち運びが面倒なので
紙幣にしてくれと言うんです。
財布の中を見ると、紙幣は10ドル札しかありません。
「ミスター・フィロソファー」が言いました。
「その10ドルでいいよ。おつりはもらっとくよ。」
そう言い放つんです。
まるで押し売りだなこりゃ、と心の中でつぶやきました。
「私は、押し売りなんかじゃないよ。」
 「ミスター・フィロソファー」は
咎めるように言いました。
げっ!この夜、二度目のげっ!でした。

それから、私たちは延々と話し込みました。
あのとき、ネコと人間が会話する光景を見たとしても
「ミスター・フィロソファー」を良く知る
ニューヨークタイムズの記者様だったら
ちっとも不思議がらないで、まるで
当然の出来事だとばかりに、驚かなかったでしょうね。

さて、ここまでは前書きなんです。
本題はこれからなんです。
でも、とてもあのときの私たちの会話を
詳しく書くことはできません。
でもまあ、せっかくここまで読んでくださったのですから
(勿体ぶって)特別に、かいつまんでお教えしましょう。

「ミスター・フィロソファー」は、数年前までは
たくさんの著名な新聞社に、コラムの連載執筆をしていました。
もちろん、地元のニューヨークタイムズだけでなく、
海外のデイリー・テレグラフ 、インデペンデント 、
ガーディアン 、フィガロ、シュピーゲル、室蘭民報、陸奥新報、
岩手日報、河北新報、KAHOKUひまわりクラブ、
福島民報、福島民友新聞などなど。
それはそれは猛烈な勢いで、コラムを書いていたんです。
目の回るような多忙な毎日でした。

「ミスター・フィロソファー」には
孫ネコが一匹だけいました。
ホワイティという名の、かわいらしい白ネコでした。
ホワイティは、ある雨の夜、両親と一緒に
家に急ぐ途中、交通事故に遭いました。
居眠り運転のトラックが、突然向きを変えて
突っ込んできたのです。
とっさのことで逃げることができず、
両親はホワイティをかばって犠牲になりました。
あっという間に両親を失ったホワイティは
裕福なおじいちゃんネコの
「ミスター・フィロソファー」に引き取られたんです。

昼間はメイドネコが何匹もいて、世話をしてくれました。
おじいちゃんは、欲しいものは何でも買ってくれました。
ニューヨークで手に入らないものは、
わざわざ日本のジャパネット・タカタから
送ってもらうこともありました。
でも、ホワイティの心は沈んでいました。
毎晩、ホワイティのために、手作りの絵本を
読んでくれた両親は、もうそばにいないからです。
そこでホワイティは、おじいちゃんネコに頼みました。
「おじいちゃん、お父さんやお母さんみたいに
わたしにも、絵本を作って欲しいの。お願い。」

おじいちゃんの返事はいつも一緒でした。
「ああ、わかったよホワイティ。
明日にはきっと書いて、寝る前に読んであげるね。
おじいちゃんは、世界中の新聞社に記事を書いてあげてて
今日は、大きな事件があったものだから
締め切りが間に合わなくて、とっても忙しいんだよ。
ごめんね。明日まで待っててくれるかい?」
「うん、わかったわ。明日はきっとね。約束よ。」

でも、その約束は、毎日延ばされました。
来る日も来る日も、膨大な文字量の原稿をこなす
おじいちゃんには、孫娘のために絵本のストーリーを
考える時間的な余裕などなかったんです。

数年後、記録的な寒波がニューヨークを襲いました。
暖かい部屋でじっとして、決して外出しないよう
おじいちゃんが言いつけていたにもかかわらず、
ホワイティは、失った何かを見つけようと街に出ました。
とても寒くて凍えてしまいそうだったけれど
心から暖まれる場所を探して街に出ました。
歩きに歩いて、帰り道が分からなくなり
とうとう力尽きて、ブロードウェイの劇場街近くで
倒れてしまいました。
息をするのも痛みを感じるほどの寒波でした。
道ばたの仔ネコに、誰が注意を払うでしょうか。

ホワイティの不在に気づき、ネコネットに
緊急捜索要請をした「ミスター・フィロソファー」のもとに
悲報が伝わったのは、深夜過ぎでした。
ふかふかしたベージュの毛布にくるまれ
冷たくなったホワイティを、おじいちゃんは
一晩中抱きかかえて、眠ることをしませんでした。
そのとき、「ミスター・フィロソファー」は
深い自己嫌悪に包まれていました。

「世界中の数千万人の読者のために
叡智を絞り出して役に立っていると自負していたが、
結局は、身近なたった一人の小さな孫のために
何もしてやれなかった。
この子には、私しかいなかったというのに。」

ホワイティの葬儀が済むと、
「ミスター・フィロソファー」は
弁護士に依頼して全ての新聞社との
執筆契約をキャンセルしたそうです。
そして、ニューヨークの名もない小さな出版社を訪ねました。
来訪を受けた編集者は、それはそれは驚いたとのことです。
それはそうでしょう。世界的に著名なコラムニストが
いきなり訪ねてきてこう言ったのですから。
「重荷を負って、苦しんでいる人がいたら、
心を閉ざして、希望を失っている人がいたら、
その人のために、文章を書かせてください。
ただ一人の人だけを大切に考えて、役に立ちたいんです。」
・・・その後、ニューヨークでは
「ミスター・フィロソファー」が、
特定の一人のために文章を考え、
その小さな出版社から絵本として、刊行されているそうです。

長い対話が終わりかけた頃、窓の外が白んできました。
別れ際に、ベランダに向かう「ミスター・フィロソファー」は
突然振り向いてこう言いました。
「君は、相変わらず、毎日こしあんドーナツを
食べているのかね?」

げっ!この夜、三度目のげっ!でした。

今でも、このAutumn in New Yorkを聴くと、
「ミスター・フィロソファー」のことを
まるで昨日のことのように、鮮明に思い出します。